補足
平均賃金は、解雇予告手当、休業手当、年次有給休暇中の賃金や、災害補償(休業補償、傷害補償、遺族補償、葬祭料、打切補償、分割補償)、減給制裁の制限の算定基礎となるもので、これらに該当したときの労働者の生活を保障するためにある。
要は、通常の状態における平均的な賃金を決めればよいのであるが、実際にはさまざまなことが起きるので、計算額が高すぎたり、低すぎたりしないようにするための算定ルールが複雑になっており、実務的にも結構難しい。 |
2.1 算定すべき事由の発生した日以前3か月間 労働法コンメンタール「労働基準法上P106-107(以前3か月間))
「平均賃金を算定すべき事由の発生した日以前3か月間とは、事由の発生した日の前日から遡る3か月間であって、事由の発生した日は含まれない者と解される。
これは、通常当該日には労務の提供が完全になされず賃金も全部は支払わない場合が多く、これを3か月間に入れることにより、かえって平均賃金が実態に即さないこととなるためである」
⇒実際には発生日前(発生日は含まず)3か月で、3か月は暦月、日数は実日数による。
たとえば、5月10日に算定事由が発生した場合には、5月9日からさかのぼって2月10日まで(5月は9日、4月は30日、3月は31日、2月は19日で合計89日、うるう年の場合は90日)
じん肺患者の場合 (S39.11.25基発1305)
「じん肺にかかったことによる災害補償等に係る平均賃金は、疾病の確定した日を発生日として算定した金額が、じん肺等にかかったため作業転換した日を算定事由発生日として算定した金額に満たない場合は、後者とする」 ⇒つまり、作業転換により給料がダウンした場合は、作業転換前(じん肺作業に従事していた時)の賃金をベースに算定する。
遡ってベースアップされた場合 (S23.8.11基収2934)
「災害補償においては、死傷の原因たる事故発生の日又は診断によって疾病の発生が確定した日を基準として労働者が蒙った損失を補償するものであり、その額はあくまでも事故発生時において、労働者が現実に受け又は受けることが確定した賃金の範囲内で行うべきものである」」
@算定事由発生後にベースアップ分の遡り支給が決定(あるいは実際に支給がなされた)たとしても、これを含めて平均賃金を算定する必要はない。
A算定事由発生前にベースアップ分の遡り支給が決定(あるいは実際に支給がなされた)場合、たとえば7月10日にさかのぼり遡り支給が決定され(支給は7月25日)、7月20日に算定事由が発生した場合は、昇給分は各月に配分した上で平均賃金を算定する必要がある。
賃金締切日
「12条2項 前項の期間は、賃金締切日がある場合においては、直前の賃金締切日から起算する」
⇒賃金締切日が月末 で、算定事由発生日(たとえば、解雇日)が月末である場合は、直前の締切日は前月の月末となる
「直前の賃金締切日は、それぞれ各賃金ごとの締切日である」(S26.12.27基収5926)
⇒基本給等は20日締めで当月25日払い、時間外手当等は末日締めで翌月10日払いにおいて、算定事由発生日が23日である場合、平均賃金は以下による計算結果の合計値とする。
・基本給等はその月20日から起算(当月締め分はまだ支払われていないが額は確定しているので、当月締め分も含めて計算)
・時間外手当等は、先月末日から起算(当月分はまだ確定していないので、先月末日締め分から計算)。 |
2.2 期間、賃金総額からの控除
「12条3項 前2項に規定する期間中に、次の各号の一に該当する期間がある場合においては、その日数及びその期間中の賃金は、前2項の期間及び賃金の総額から控除する」
1 |
業務上負傷し、又は疾病にかかり療養のために休業した期間 |
2 |
産前産後の女性が65条の規定によって休業した期間 |
3 |
使用者の責めに帰すべき事由によって休業した期間 |
4 |
育児・介護休業法に規定する育児休業又は介護休業をした期間
⇒子の看護休暇は対象外である。 |
5 |
試みの使用期間 |
控除期間が3か月以上ある場合
12条3項による控除期間が、算定事由発生日以前3か月以上にわたる場合は、算定期間および賃金はないことになり、平均賃金を算定することができない。
また、雇入れの日に平均賃金を算定すべき事由の発生した場合も、遡る期間がないので、同様である。
「施行規則4条 法12条3項1号から4号までの期間が平均賃金を算定すべき事由の発生した日以前3か月以上にわたる場合又は雇入れの日に平均賃金を算定すべき事由の発生した場合の平均賃金は、都道府県労働局長の定めるところによる」
施行規則4条の適用 (S22.9.13発基17(規則4条関係))
「法12条3項1号から4号までの期間の最初の日を持って、算定すべき事由発生日とみなす(つまり、休業前の賃金をベースとする)
この期間中に賃金水準の変動が行われた場合には、平均賃金を算定すべき事由の発生した日に、当該事業場において同一業務に従事した労働者の1人平均の賃金額により、これを推算すること。
また、雇入れの日に平均賃金を算定すべき事由の発生した場合には、当該労働者に対し一定額の賃金が予め定められている場合には、その額により推算し、そうでない場合にはその日に、当該事業場において、同一業務に従事した労働者の1人平均の賃金額により推算すること」 |
2.3 賃金総額
「12条4項 賃金の総額には、臨時に支払われた賃金及び3か月を超える期間ごとに支払われる賃金並びに通貨以外のもので支払われた賃金で一定の範囲に属しないものは算入しない」
「12条5項 賃金が通貨以外のもので支払われる場合、賃金の総額に算入すべきものの範囲及び評価に関し必要な事項は、厚生労働省令で定める」
通貨以外で支払われた賃金(施行規則2条)
「賃金の総額に算入すべきものは、法令又は労働協約の別段の定めに基づいて支払われる通貨以外のものとする」
「施行規則2条2項 通貨以外のものの評価額は、法令に別段の定がある場合の外、労働協約に定めなければならない」
「施行規則2条3項 労働協約に定められた評価額が不適当と認められる場合、又は前項の評価額が法令若しくは労働協約に定められていない場合においては、都道府県労働局長は通貨以外のものの評価額を定めることができる」 |
2.4 最低保障(1項但し書き)
「12条1項において、ただし、その金額は次の各号の一によって計算した金額を下ってはならない」
1 |
賃金が、労働した日若しくは時間によって算定され、又は出来高払制その他の請負制によって定められた場合においては、賃金の総額をその期間中に労働した日数で除した金額の100分の60 |
2 |
賃金の一部が、月、週その他一定の期間によって定められた場合においては、その部分の総額をその期間の総日数で除した金額と前号の金額の合算額
|
補足
賃金が日給、時間給、出来高払制、請負制などの場合、3か月間中に欠勤が多かったり、業績が非常に悪かったりすると、平均賃金
害が異常に低額になって生活費の保障の意味をなさなく恐れがある。
上記但し書きは、このような場合を想定して最低保障額を定めたものである。
注:2号は、例えば月給(固定給)と日給あるいは時間給の併用である場合などをいい、いわゆる日給・月給制(賃金を月単位で払うが、欠勤、遅刻、早退等があった場合はその時間や日数に応じて減額する賃金制度)に対しては適用されない。 |
2.5 その他の条項
「12条6項 雇入後3か月に満たない者については、1項の期間は、雇入後の期間とする」
「12条7項 日日雇い入れられる者については、その従事する事業又は職業について、厚生労働大臣の定める金額を平均賃金とする」
⇒「原則的には、平均賃金を算定すべき理由の発生した日以前1か月間に当該日雇労働者が当該事業場において使用された期間がある場合には、その期間中に当該日雇労働者に対して支払われた賃金の総額をその期間中に当該日雇労働者が当該事業場において労働した日数で除した金額の100分の73とする」
「12条8項 12条1項から6項によって算定し得ない場合の平均賃金は、厚生労働大臣の定めるところによる」 |
24条の趣旨 労働法コンメンタール「労働基準法上P338-340(24条の趣旨)」
「本条は、賃金の支払方法について5つの原則を定め、労働の対価が完全かつ確実に労働者本人の手に渡るように配慮したものである」
「通貨払の原則は、貨幣経済の支配する社会では最も有利な交換手段である通貨による賃金支払を義務づけ、これによって、価格が不明瞭で換価にも不便であり弊害を招くおそれが多い実物給与を禁じることにある。
この原則は、労働者に不利益な実物給与を禁止するのが本旨であるから、公益上の必要がある場合又は労働者に不利益になるおそれが少ない場合には例外を認めることが実情に沿うので、退職手当について、銀行振出し小切手等の交付によることのほか、法令又は労働協約に定めのある場合には実物給与を認めている」
他の原則については通達にゆずり、毎月払・一定期日払いの原則の趣旨についてはこちらを |
振込による支払 通達(S63.1.1基発1(振込払))
「労働者の同意を得た場合は指定する金融機関へ振込み払いをすることができるが、
「同意」については、労働者の意思に基づくものである限りその形式は問わないものあり、「指定」とは労働者が賃金の振込み対象として銀行その他の金融機関における口座を指定するとの意味であって、この指定が行われれば、同意が特段の事情がない限り得られているものであること。
また、「振込み」とは、振り込まれた賃金の全額が所定の賃金支払日に払い出し得るように行われることを要するものであること」
労働協約の意義 通達(S63.3.14基発150(労働協約))
「24条の労働協約は労働組合法でいう労働協約のみを意味し、労働組合のない場合の労働者の過半数を代表する者との協定は労働協約ではない。
労働協約の定めによって通貨以外のもので支払うことが許されるのは、その労働協約の適用を受ける労働者に限られる」
賃金の口座振込み等について (R04.11,28基発1128-4号)
「使用者が労働者に賃金を支払う場合において、従来から認められていた銀行その他の金融機関の預金又は貯金の口座(預貯金口座)への賃金の振込み及び証券会社の一定の要件を満たす預り金に該当する証券総合口座への賃金の払込みに加え、厚生労働大臣が指定する資金移動業者の口座(指定資金移動業者口座。)への賃金の資金移動による支払が認められることとなった。
これに伴い、口座振込み等を実施する使用者に対しては、今後、下記により指導することとされたい(以下抜粋) @口座振込み等は、書面又は電磁的記録による個々の労働者の同意により開始し、その書面等には次に掲げる事項を記載すること。
・口座振込み等を希望する賃金の範囲及びその金額
・指定する金融機関店舗名並びに預金又は貯金の種類及び口座番号、労働者が指定する証券会社店舗名及び証券総合口座の口座番号、又は指定する指定資金移動業者口座の口座番号(アカウントID)及び名義人等号
(受入上限額を超えた際に超過額の受取りを希望する等の場合は代替口座に関する事項) ・開始希望時期 A口座振込み等を行う事業場に労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合と、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者と、次に掲げる事項を記載した書面又は電磁的記録による協定を締結すること。
なお、協定の締結においては、労使で合意した上で労使双方の合意がなされたことが明らかな方法(記名押印又は署名など)により協定を締結すること。
・口座振込み等の対象となる労働者の範囲 ・口座振込み等の対象となる賃金の範囲及びその金額 ・取扱金融機関,取扱証券会社及び取扱指定資金移動業者の範囲
・口座振込等の実施開始時期
B 使用者は、口座振込み等の対象となっている個々の労働者に対し、所定の賃金支払日に、次に掲げる金額等を記載した賃金の支払に関する計算書を交付すること。
・基本給、手当その他賃金の種類ごとにその金額
・源泉徴収税額、労働者が負担すべき社会保険料額等賃金から控除した金額がある場合には、事項ごとにその金額 ・口座振込み等を行った金額
|
直接払い 通達(S63.3.14基発150(直接払い))
「労働者本人以外のものに賃金を支払うことを禁止するものであるから、労働者の親権者その他の法定代理人に支払うこと、労働者の委任を受けた任意代理人に支払うことは、いずれも本条違反となり、労働者が第三者に賃金受領権限を与えようとする委任、代理等の法律行為は無効である。ただし、使者に対して賃金を支払うことは差し支えない」
使者とは、給料袋の封を切ることなく、そのまま労働者本人に渡す人である。奥さんが、果たしてこのような「使者」になりうるか否か、会社としても奥さんに給料を渡してよいかどうか迷う場合もあろうが、通常は認められている。(実際には、各家庭内における普段の力関係によっても異なるのではという影の声もある)
まじめな話として、「夫婦が生計を一にしないとの特別の事情でもない限り、配偶者に支払われても、直接払いの違反にはならない」という判例もある(ということは訴訟にまで至った例があるということ)
差押え 労働法コンメンタール「労働基準法上P345(差押え)」 「行政官庁が国税徴収法の規定に基づいて行った差押処分に従って、使用者が労働者の賃金を控除のうえ当該行政官庁に納付することは、本条違反とはならない。民事執行法に基づく差押えについても、同じく本条に違反しない」
譲渡 労働法コンメンタール「労働基準法上P345(譲渡)」
「労働者が賃金債権を他に譲渡した場合に、譲受人に賃金を払うことは24条に違反すると解される」
派遣労働者に対する賃金支払 通達(S61.06.06基発333(24条関連))
「派遣中の労働者の賃金を派遣先の使用者を通じて支払うことについては、派遣先の使用者が、派遣中の労働者本人に対して、派遣元の使用者からの賃金を手渡すことだけであれば、直接払の原則には違反しない者であること」 |
全額払い 通達(H11.3.31基発168(全額払い))
「第1項但し書き後段は、購買代金
、社宅・寮その他の福利・厚生施設の費用、社内預金、組合費等、事理明白なものについてのみ36条の時間外労働と同様の労使の協定によって、賃金から控除することを認める趣旨である」
労使の書面による協定がある場合 労働法コンメンタール「労働基準法上P351(労使の書面による協定がある場合)」
「労使の書面による協定がある場合は、24条1項本文の賃金の全額払の原則が、協定で定める限度で適用除外とされるにすぎないのであって、17条(前借金相殺の禁止)の特例を認めるわけではない」 |
毎月払・一定期日払の原則 労働法コンメンタール「労働基準法上P340(毎月払・一定期日払」
「毎月払の原則は、賃金支払期の間隔が開きすぎることによる労働者の生活上の不安を除くことを目的とし、一定期日払の原則は、支払日が不安定で間隔が一定しないことによる労働者の計画的生活の困難を防ぐことを目的とし、両者相まって労働者の定期的収入の確保を図っている。この両原則は臨時に支払われる賃金、賞与その他これらに準ずるもので厚生労働省令で定める賃金については適用しないこととしている」
「毎月1回以上」とは 労働法コンメンタール「労働基準法上P352(毎月払)」
「毎月とは、暦に従うものと解されるから、毎月1日から月末までの間に少なくとも1回は賃金を支払わなければならない。
本条は、賃金の締切期間及び支払期限については、明文の定めは設けていないから、賃金締切期間については、必ずしも月の初日から起算し月の末日に締め切る必要はなく、例えば、前月の26日から当月の25日までを1期間とする等の定めをすることは差し支えなく、
また、支払期限については、必ずしもある月の労働に対する賃金をその月中に支払うことを要せず、不当に長い期間でない限り、締切後ある程度の期間を経てから支払う定めをすることも差し支えない」
「一定の期日を定めて」とは 労働法コンメンタール「労働基準法上P352(一定期日の定め⁾)
「一定の期日」は、期日が特定されるとともに、その期日が周期的に到来するものでなければならない。必ずしも、月の「15日」などと暦日を指定する必要はないから、月給について、「月の末日」等とすることは差し支えないが、「毎月15日から20日までの間」等のように日が特定しない定めをすること、あるいは「毎月第2土曜日」のように月7日の範囲で変動するような期日の定めをすることは許されない。
ただし、所定支払日が休日に当たる場合には、その支払日を繰り上げる(又は繰り下げる)ことを定めるのは、一定期日払に違反しない。
なお、賃金の支払日は、毎月払の原則又は労働協約に反しない限り、労働協約又は就業規則によって自由に定め、又は変更し得るものであるから、使用者が事前に90条の手続きに従って就業規則を変更する限り、支払日が変更されても本条違反とはならない」
賞与の意義 (S22.9.13発基17(賞与の意義))
「賞与とは、定期又は臨時に、原則として労働者の勤務成績に応じて支給されるものであって、その支給額が予め確定されていないものをいうこと。
定期的に支給されかつその支給額が確定しているものは、名称の如何にかかわらず、これを賞与とみなさないこと。
従ってかかるもので、施行規則8条に該当しないものは、毎月支払わなければならない」
毎月は支払わなくてもよいものは、
@臨時に支払われる賃金 (結婚手当等支給条件は確定しているがいつもらえるかは不明なものなど)
A賞与
B賞与に順ずるもの:
a 1箇月を超える期間の出勤成績によって支給される精勤手当
b 1箇月を超える一定期間の継続勤務に対して支給される勤続手当
c 1箇月を超える期間にわたる事由によって算定される奨励加給又は能率手当 |
関連判例 最高裁判例[未払賃金(いわゆる大和銀行事件)](S57.10.07)
「被上告銀行においては、就業規則32条の改訂前から、年2回の決算期の中間時点を支給日と定めて当該支給日に在籍している者に対してのみ右決算期間を対象とする賞与が支給されるという慣行が存在し、
右規則33条の改訂は単に被上告銀行の従業員組合の要請によつて慣行を明文化したにとどまるものであつて、 その内容においても合理性を有するというのであり、右事実関係のもとにおいては、上告人は、被上告銀行を退職した後の日を支給日とする賞与については受給権を有しない。
よって、賞与支給日在籍要件を定めた就業規則の規定が無効であるということはできず、退職後に支給日のある賞与の受給権がない以上、賃金全額払の原則に違反するとはいえない。
最高裁判所判例[退職金請求](S48.01.19)
経緯:上告人は、途中退職を会社に申し出た際、「会社に対していかなる性質の請求権をも有しない」という確認書を会社と取り交わしてた。この上告人は、ライバル会社に転職しようとしていたこと、在職中に旅費等経費について疑惑を持たれていたなどの特殊な事情があるため、会社側が、疑惑部分の損害の一部を填補する趣旨で、上記の確認書に署名を求めたところ、本人がこれに応じた。
しかし、後になって、退職金債権の放棄は、賃金全額払の原則に反するばかりでなく、退職金債権の放棄は、被上告会社からの強制によるものであるとして、争いになった、
判決:「本件退職金は、就業規則においてその支給条件が予め明確に規定され、会社が当然にその支払義務を負うものというべきであるから、労働基準法11条の「労働の対償」としての賃金に該当し、したがつて、その支払については、同法24条1項に定めるいわゆる全額払の原則が適用されるものと解するのが相当である。
しかし、全額払の原則の趣旨とするところは、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もつて労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活をおびやかすことのないようにしてその保護をはかろうとするものというべきであるから、
本件のように、労働者たる上告人が退職に際し、みずから賃金に該当する本件退職金債権を放棄する旨の意思表示をした場合に、全額払の原則が意思表示の効力を否定する趣旨のものであるとまで解することはできない。
もつとも、全額払の原則の趣旨とするところなどに鑑みれば、意思表示の効力を肯定するには、それが上告人の自由な意思に基づくものであることが明確でなければならないが、意思表示が上告人の自由な意思に基づくものであると認めるに足る合理的な理由が客観的に存在していたものということができるから、右意思表示の効力は、これを肯定して差支えないというべきである」
最高裁判例「退職金請求上告事件(いわゆる電電公社小倉電話局事件)」(S43.03.12)では、
経緯:電電公社に勤務していた定年間近のAは、同僚Bに損害賠償事件を起こしたため、公社から支払われる退職金の一部を同僚Bに債権譲渡することとした。しかしながらその後、この債権譲渡は同僚の脅迫によるものであるとして翻意し、債権譲渡の取消の意思表示を行って、公社にもこのことを通知した結果、退職金の全額はAに支払われた。
これに対して、同僚Bは納得せず,公社に対して譲渡分は自分に支払えと訴訟を起こしたのである。 判決:「国家公務員等退職手当法に基づき支給される一般の退職手当は、その支給額その他の支給条件はすべて法定されていて国または公社に裁量の余地がなく、欠格事由のないかぎり、法定の基準に従つて一律に支給しなければならない性質のものであるから、その法律上の性質は労働基準法11条にいう「労働の対償」としての賃金に該当する。
したがつて、退職者に対する支払については、その性質の許すかぎり、同法24条1項本文の規定が適用ないし準用されるものと解するのが相当である。
ところで、退職手当法による退職手当の給付を受ける権利については、その譲渡を禁止する規定がないから、
退職者またはその予定者が右退職手当の給付を受ける権利を他に譲渡した場合に譲渡自体を無効と解すべき根拠はないけれども、労働基準法24条1項が、「賃金は直接労働者に支払わなければならない」旨を定めて、使用者たる貸金支払義務者に対し罰則をもつてその履行を強制している趣旨に徴すれば、
労働者が賃金の支払を受ける前に賃金債権を他に譲渡した場合においても、その支払についてはなお同条が適用され、使用者は直接労働者に対し賃金を支払わなければならず、したがつて、右賃金債権の譲受人は自ら使用者に対してその支払を求めることは許されないものと解するのが相当である」
最高裁判例「執行異議事件(いわゆる伊予相互金融事件)」(S43.05.28)」、
経緯:ある従業員が退職前に退職金の一部を他の者に譲渡したところ、会社は譲渡部分について差押えをを行った。しかしながら、原審では、執行力は排除とされたので、これを不服とし、そもそも債権譲渡は違法であるとして上告した。
判決;「本件退職金は、労働基準法11条にいう労働の対償としての賃金に該当するものというべきであるから、その支払については、性質の許すかぎり、同法24条1項本文の定めるいわゆる直接払の原則が適用されるものと解するのが相当である。
しかし、退職金債権の譲渡を禁ずる規定はなく、また、本件退職金債権についてその譲渡を禁ずる旨の特約があつたことは原審の認定しないところであるから、退職予定者が退職金債権を他人に譲渡したことを無効とすることはできないものというべきである。
また、本件退職金債権中、譲渡された40万円については、会社(上告人)の差押に先き立つて、譲渡された他人(被上告人)への債権譲渡の通知がされていた、ことの確定された本件において、その40万円につき、(強制執行の)債務名義の執行力の排除を認めた原審の判断は正当である」
⇒すなわち、強制執行に先立つ債権譲渡は有効である。
最高裁判例[退職金返還](S52..08.09)
経緯:ある会社において、「同業他社に転職する場合は退職金を2分の1とする旨、就業規則が定められていることから、被告人は退職する際、同業他社に転職した場合には退職金の半分を返還する旨を約束して通常の退職金を受け取った。
しかしながらこの者は実際には同業他社へ就職していたことがわかったので、会社が、退職金の半額を返還するように求めて訴訟となった。
判決:「会社が営業担当社員に対し退職後の同業他社への就職をある程度の期間制限することをもつて直ちに社員の職業の自由等を不当に拘束するものとは認められず、したがつて、会社がその退職金規則において、右制限に反して同業他社に就職した退職社員に支給すべき退職金につき、その点を考慮して、支給額を一般の自己都合による退職の場合の半額と定めることも、本件退職金が功労報償的な性格を併せ有することにかんがみれば、合理性のない措置であるとすることはできない。
すなわち、この場合の退職金の定めは、制限違反の就職をしたことにより勤務中の功労に対する評価が減殺されて、退職金の権利そのものが一般の自己都合による退職の場合の半額の限度においてしか発生しないこととする趣旨であると解すべきであるから、右の定めは、その退職金が労働基準法上の賃金にあたるとしても、所論の同法3条(均等待遇)、16条(賠償予定の禁止)、24条(賃金の支払5原則)及び民法90条(公序良俗)等の規定にはなんら違反するものではない」 |